間一髪でコロナをすり抜け、サンバの国へ。怒濤の出発篇
中日対照エッセイ1
而立会の中国人会員が中国語で書いたエッセイを、日本人会員が日本語に訳す、という中日コラボの試み。
第1篇はスリリングな南米旅行旅行記です。
南美之旅小记之一
阴京平
2020年1月,世界最大新闻之一恐怕是武汉发生了新冠病毒传染病吧。2月中旬,停泊在横浜港的钻石公主号邮轮,开始发生船内病毒感染的消息更加引人注目,新冠病毒的疫情越发令人担心。但是,当时世界五大陆中唯一还没有一个新冠病毒感染的大陆是南美大陆。2月中旬的一天,一架从东京羽田机场经由德国法兰克福前往巴西首都里约热内卢国际机场的飞机顺利起飞了。我乘这架飞机开启了人生第二次南美之旅。
此次南美之旅,在万事俱备只欠东风的时候,出现了新冠病毒疫情,出发前再三斟酌,是否按照半年以前早已策划好的日程出发,因为酒店、机票都早已购买好,同时此次南美之旅也是我一直拥有的一个梦想,所以,最终的结论还是按照原定计划出发。现在回想起来,真可谓有点冒险旅行。但此次的旅行可以说是不但实现了我的梦想,而且成了终生难忘的愉快旅行。
从羽田机场出发时候的我,带着口罩,非常自然,没有任何违和感。抵达德国法兰克福机场转机的时候,进入机场没有一个人戴口罩,无论是乘客还是机场工作人员。入乡随俗,一下飞机非常胆大地把口罩摘掉,我知道德国当时刚刚发生几名新冠病毒感染者,而我只是在机场内转乘一下飞机。酒精消毒液随身携带,飞机上带上鞋套,小桌板、座椅、扶手、电视屏幕,所有的能触摸的东西都用酒精液认真消毒,这样内心也比较踏实。办理好转乘手续,等候起飞,看到和我同乘这一航班的乘客几乎没有亚洲人的面孔,大部分是南美人和一小部分欧洲人的面孔。上了飞机为了好好休息,还是带上了口罩,但真真切切地感到带口罩属于异类,因为没有一个乘客带口罩。欧美也好,南美也好,戴口罩就是病人,这是他们的传统观念。从法兰克福到里约热内卢,飞行时间大约11个半小时,看了3部电影,还迷迷糊糊睡了一大觉,感觉转眼飞机就安全抵达目的地了。
虽然是时隔一年第二次来巴西旅游,想着马上就要看到向往已久的伊瓜苏大瀑布,参加里约热内卢狂欢节,有点抑制不住兴奋,终于平安抵达啦。飞机刚刚停稳,忽然传来机上英语广播,JPY女士,JPY女士,请马上和飞机乘务员联系。人生乘过无数次飞机,在下飞机之前被机上广播点名字,这可是头一次,我有些忐忑不安,但我也明白为什么被叫名字。因为上飞机之前,新冠疫情已经开始影响世界各地,中国和日本,都是有疫情发生的地方。我持有中国护照,我是此航班唯一的中国籍乘客。马上和附近的乘务员联系,跟随着乘务员几乎是第一个让我下了飞机。一下飞机,有三个工作人员在飞机门口等待,其中一位还推着一辆轮椅。真有点朦了,是要把我送进医院吗?我知道此时此刻在武汉,在钻石公主号上,新冠病毒感染还处于没有彻底控制住的状态,我可能被严格检查,出发前我已经做好了心里准备,并认真查看了巴西有关的入境规定,但这一下飞机就要送我去医院吗?我心里咯噔了一下。两位工作人员询问我从哪里来,检查我的护照,问我要了住宿酒店名称和我的手机联系电话,然后微笑着对我说,祝你旅途愉快!就放行啦。
我虽然持有中国护照,但我定居在日本,有巴西的3年观光签证,而且在抵达巴西当天的前14天没有去过中国,完全符合巴西的入境规定。旁边那个推轮椅的工作人员是在等别的乘客,和我无关系。真让我虚惊一场,以为马上就让我坐轮椅送我去医院隔离呢,如果真是这样的话,计划已久的此次里约狂欢节和伊瓜苏大瀑布之旅就全泡汤了。
此次旅行轻装上阵,没有带托运行李,只有小拉杆箱子一个,飞快地走到入境审查柜台,递上护照,巴西入境的检查官看了看我的签证,什么都没有问,就在护照上盖了入境章,然后说”OK!”。入境之前的小插曲,就这样结束了。做梦也没有想到,一个月后世界五大陆都开始爆发新冠病毒的疫情,真是要感谢上苍啊,让我顺利抵达巴西开启美好旅程。
顺利入境啦!从身着羽绒服且寒冷冬季满街戴口罩的日本,到穿短袖短裙且炎热夏季没有一个人戴口罩的巴西,南美真是遥远啊,此时从羽田机场出发已经经过了27个小时了。2月的里约热内卢阳光灿烂,骄阳似火,还有一些湿热。接下来,我要参加全球最疯狂的狂欢节,里约热内卢狂欢节,去亲身感受世界上以服装之华丽,持续时间之长,彩车之大,场面之壮观堪称世界狂欢节之最的里约狂欢节。
久负盛名的里约热内卢狂欢节吸引着大批外国游客,狂欢节为期四天,每年的2月中下旬举行,每年约有40万游客选中这个季节前来这个美丽的城市旅游。狂欢节不仅给巴西人带来了欢乐,并吸引了众多游客,促进了旅游业,刺激了经济,已成为巴西人生活中不可或缺的一个重要节日,狂欢节一年比一年更热闹。狂欢节、桑巴舞、同足球一样,已成为巴西的象征。
不过在参加狂欢节之前,我还要先乘飞机先前往阿根廷,去看世界自然遗产,伊瓜苏大瀑布。伊瓜苏瀑布是南美洲最大的瀑布,位于巴西和阿根廷两个国家的交界处,并跨越两国,是世界五大瀑布之一。瀑布呈马蹄形,宽约4千米,平均落差75米。巨流倾泻,气势磅礴,有如一个大海泻入深渊。
难以忘怀的南美之旅,小记未完,抽时间还将会把小记继续写下去。
记于2020年8月
南米旅行記 その1
陰京平
2020年1月、武漢で新型コロナウイルス感染症が発生し、おそらく世界で最も大きなニュースの一つとなった。
次いで、日本では2月中旬に横浜港に停泊していたクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号の船内で感染者が発生し始めたというニュースがさらに注目を集め、人々はいよいよ新型コロナウイルスへの警戒を強めた。
だが、当時、南アメリカは世界の五大陸のうち、唯一まだ新型コロナの感染者が一人も出ていない地域だった。
そんな2月中旬のある日、南米行きの飛行機が1機、羽田空港を離陸した。フランクフルトを経由し、ブラジルの主要都市であるリオデジャネイロ国際空港に向かうのである。私の人生2度目の南米旅行はこの飛行機に乗りこむことから始まった。
旅行の準備が全て整い、後は出発を待つだけになった頃、新型コロナが流行し始めた。
半年前から立てていた計画どおり旅行に出かけるべきか否か、もちろん私は熟慮を重ねた。だが、ホテルや航空券は既に予約していたし、今回の南米旅行は私の長年の夢でもある。最終的に私はやはり予定通り出発することに決めた。
今から考えてみると間一髪だったといえよう。だが、夢がかなったばかりか、私にとって一生忘れることのできない楽しい旅となった。
羽田空港を発つとき、私は何の疑問もなく、ごく自然にマスクを着けていた。ところが、フランクフルト空港に到着した飛行機から下りると、乗客や空港職員も含め、空港中に誰ひとり、マスクをつけた人はいない。
郷に入れば郷に従えと、私は思い切ってマスクを外した。
当時ドイツでは新型コロナウイルス最初の感染者が数名出ていたが、私はフランクフルトではトランジットをするだけだ。アルコール消毒液を携帯し、飛行機内ではシューズカバーをつけ、テーブル、座席、手すり、個人用モニターなど、体が触れるあらゆる物をアルコールで丁寧に消毒すれば十分に思えた。
トランジットの手続を済ませ離陸を待つ間、同じフライトに乗る乗客達を見ると、アジア人の顔はほとんど見られない。大部分が南米人で、ヨーロッパ系の人も一部いたようだ。
機内では、ゆっくり休むため、またマスクを着けてみたが、他にマスクを着けている乗客は一人もおらず、自分が完全に周りから浮いているのを感じた。欧米人にしろ、南米人にしろ、マスクを着けるのは病人だけというのが彼らの伝統的な観念なのである。
フランクフルトからリオデジャネイロまでの飛行時間は約11時間半。映画を3本見てうつらうつら寝ていたら、目的地上空まではあっというまだ。
1年ぶり2回目のブラジル旅行である。もうすぐあのイグアスの滝を見られる、リオのカーニバルにも参加できると思うと、抑えようもなく期待が高まる。そんな中、飛行機は無事に着陸した。
機体が停止すると、突然英語の放送が流れた。
「ミスJ・P・Y, ミスJ・P・Y、すぐに乗務員にご連絡願います」
人生で数えきれないほど飛行機には乗っているが、降りる前に機内放送で名前を呼ばれたのは初めてだ。いささか不安になったが、なぜ名前が呼ばれたかはわかっていた。
新型コロナは世界の各地に影響を及ぼし始めており、中国と日本はどちらも感染者発生地域となっている。私のパスポートは中国のもので、おそらくこのフライト中唯一の中国籍の乗客だったろう。近くにいた乗務員に声をかけると、私はほぼ一番初めに飛行機から降ろしてもらえた。
乗務員に付き添われて飛行機の外に出ると、ドアのところに三人の係員が待ち構え、そのうちの一人は車いすまで用意している。私は唖然とした。まさか病院に連れて行かれるのだろうか?
その頃は、武漢やダイヤモンドプリンセス号で発生した新型コロナの感染がまだ完全には抑えられていなかったから、出発前から、厳重な検査を受けるだろうと心の準備はできていたし、ブラジルの入国規定もよく読んではいた。
だけど、空港から直接病院に送られるの? 心臓が急にドキドキし始めた。だが、二人の係員は出発地を尋ね、パスポートをチェックし、宿泊ホテルの名前と携帯電話の番号を聞くと、微笑みながら、
「どうぞ楽しい旅を!」と言って私を解放してくれた。
中国のパスポートを持っているとはいえ、私は日本に定住しているし、ブラジル側からみれば、3年間有効の観光ビザもあり、到着以前の14日間に中国に行ったこともないのだから、入国規定に照らして全く問題がなかったわけである。
実は、傍にいた係員が車椅子を用意していたのは別の乗客のためで、私とは無関係だった。車いすに載せられて即病院行きかと本当に冷や汗をかいてしまった。もしそうなったら、リオのカーニバルもイグアスの滝も、かねてからの計画が全て水の泡になるところだった。
今回の旅行はキャリーケース一つの軽装で出発したので、荷物のピックアップは必要なかった。私は入国審査のカウンターへ飛んでいき、パスポートを見せた。ブラジルの入国審査官は私のビザをちらっと見ただけで、何も聞かずに入国スタンプを押し、
「OK!」と言った。
入国前のちょっとしたエピソードはこれで終わり。まさか、その1か月後に世界の五大陸全てで新型コロナの感染が爆発するとは、この時点では全く予想できなかった。無事にブラジルに到着し、素晴らしい旅行をスタートさせてくれた神様に感謝だ。
無事に入国! 街中マスクだらけの寒い冬の日本ではダウンを着ていたが、熱暑のブラジルでは半袖にショートスカートだ。もちろんマスクをつけている人はいない。それにしても、南米は本当に遠い。羽田空港を出発してから既に27時間が経っている。
2月のリオは太陽が燦燦と降り注ぎ、陽光は火のように熱く、蒸暑くもある。その中でこれから、世界で最も熱狂的なカーニバル、リオのカーニバルに参加するのだ。衣装の華麗さ、祭典期間の長さ、パレードの山車の大きさ、壮観な光景、どれをとっても世界のカーニバルの最高峰の名に恥じない、リオのカーニバルを生で体感するのである。
名高いリオのカーニバルを目当てに外国の観光客も大勢やってくる。毎年2月の中・下旬に4日間にわたって開催されるカーニバル。毎年約40万人もの観光客が、この季節、この美しい街を目指してくる。
カーニバルはブラジル人の喜びであるばかりでなく、多くの観光客を惹きつけて観光業を発展させ、経済を活性化させてもいる。もはやブラジル人の生活にとって欠くことのできない重要な祝祭日であり、その賑やかさも年々増しているようだ。カーニバルはサンバやサッカーと同様にブラジルの象徴となっているのである。
ところで私は、カーニバルの前にまず飛行機でアルゼンチンに飛び、世界自然遺産であるイグアスの滝を見ることにしていた。
イグアスの滝はブラジルとアルゼンチンの境界に位置し、両国をまたぐ南米最大の滝であり、世界五大瀑布の一つである。馬蹄形をした幅約4キロ、平均落差75メートルの滝で、巨大な急流が勢いよく流れる様はまるで海が深い淵に流れ込んでいるようだ。
忘れがたい南米の旅の物語はまだ続く。また時間を見つけて旅行記の続きを書きたい。
2020年8月 (笠原寛史 訳)