道教と忍者―忍術書と呪術の微妙な関係①―
中島慧
忍術書は大部分が江戸時代の創作です。目的としては、実際に「忍び」の後継を自認する者が「忍び」の価値を高めることで自らの立ち位置も高く置こう、とするものです。
忍者・忍術における一般的なイメージは多分に呪術的であり、また、その宗教的、呪術的イメージの多くは、役小角や修験道等によってもたらされ、発展していったと考えられます。しかし、忍者や忍術そのものは全くのフィクションから生まれたのでもありません。史実的な忍者である「忍び」は実際に存在した職であり、時代が下ることで「忍び」が機能しなくなっても、その後継(もしくはその自称)は存在していました。そして彼らにとって、フィクションにおける忍者のイメージは、自身を形成する要素として好ましいものでは無かったようです。
忍術書は、彼らにとって好ましい忍者のイメージを積極的にアピールする場です。忍術書は、史実的な忍者像や忍術の実態の根拠とされることも多いため、忍術書の主張する忍者・忍術とは、呪術的存在であるフィクションの忍者のイメージに対する現実的立場からの「もの言い」である、と捉えられるのではないでしょうか。
忍者・忍術研究で必ず挙げられる代表的忍術書に『万川集海』があります。「まんせんしゅうかい」または「ばんせんしゅうかい」と読みます。序の文章で忍者・忍術を軍事の重要事と捉えていることから『万川集海』は、これを積極的にアピールするのが目的と分かります。そして『万川集海』全体を通して、多く中国書籍を引用しているにも関わらず、道教の道術、仙術、『抱朴子』など道術書への言及がない点、修験道やその祖とされる役小角と忍者、忍術の関連性に対する言及がない点にも注目です。
古くからフィクションの忍者は、多く「悪」属性を持たされて登場し、その立場は悪役でなくとも脇枠でした。そこでは忍者は忍術を使うものとして描かれるが、そこで用いられる忍術はおおむね妖術・幻術と同様のものです。そして、このような忍術の源流は中国の仙術や道術に求められます。さらに、忍者の原点を求める際には、必ずといっていいほど修験道や修験道の祖とされる役小角との関係性が言及されます。修験道には道教の影響も多く見られ、用いられる呪符・呪文には『抱朴子』等道術書由来のものが数多く存在します。また、役小角は道教的な色合いの濃い人物です。
このように、忍者・忍術に言及しようとすれば、道教や修験道に触れざるを得ないはずですが、『万川集海』では、これらとの関りを避けて記述されています。
筆者の立場=忍者の立ち位置を確立させたい側からすれば、忍者・忍術にまとわりつく妖術師的イメージは不要だった、と理解できるのではないでしょうか。
主な参考文献
中島篤巳訳註『完本万川集海』、国書刊行会、2015年。