私の和書遍歴

中日対照エッセイ4

而立会の中国人会員が中国語で書いたエッセイを、日本人会員が日本語に訳す、という中日コラボの試み。
日本語で読書を続けることの楽しさを綴った一篇です。


日语读书琐记

下山リティン

  看书既可以是一种主动的行为,也可以是一种被动的行为。于我来说,阅读日语书籍完全始于被动,逐渐从被动走向主动,最后竟形成一种习惯,似乎觉得生活里少了书,就像小菜里没放盐似的,不是个滋味儿。

  我真正阅读日语书籍是从留学时候开始的,而引导我读书的,则是我选修的日本文学课老师,一位中年教授。记得那时选这门课的,基本都是像我这样的外国留学生,是一个小班。课前,大家都十分期待,希望老师能早点来,因为只要老师一踏进课堂,就意味着又有新故事可以听了。每次上课,老师总会挑一篇日本文坛名著来,先给大家介绍作者、作品的时代背景,再进入小说主题,最后细数故事情节。一个半小时的课快得就像喝一杯咖啡的功夫,每次都是在大家聚精会神、听得“垂涎三尺”的时候,就到了“请听下回分解”的铃声。说实话,那位老师的的确确是一个“说书”高手,我至今仍然觉得如果那时候让老师去上海说书,茶馆肯定会场场爆满;如果现在让老师去中国直播带货,肯定会圈粉无数,成为网红。而我,也不折不扣地成了老师忠实的铁粉。最“狡猾”的是,老师没有一次从头到尾讲完过一个故事,因为他每堂课要讲一个新故事。因此,为了“追剧”,我一下课就冲到生协,先看看书背面的价格,随后狠狠心咬咬牙把它买回家,一口气穷“追”到底。我依稀记得在我最贫穷的留学初期,我在日本买了第一本文库书:著名作家远藤周作先生的代表作《我抛弃了的女人》。

  离开校园之后,没有人再会引导我读书,于是我主动去找书看。我看书的动机最初很简单,就是为了提高自己的日语水平。往往是到书店去兜一圈,看到吸引自己的书名就信手翻几页,感兴趣的就买回家堆在床前柜头,闲来翻翻。可是,这样买回来的书,看到最后发现没啥价值的不在少数。失败次数多了,慢慢地也学会了取舍,形成自己一套书的鉴别标准,知道哪些书值得重读,而哪些书只需速读就罢了。如今,我只买自己喜欢的作家的书,而所谓喜欢,也是八九不离本行,重在文字。

  我常看的书主要有三类:第一类是散文类书籍,随意翻阅,足不出户亦能云游四海;第二类是语言类书籍,包括笔译、口译和语言教学等,比较务实;第三类是经济学和人文科学类书籍,诸如我最喜欢看的脑神经科学家池谷裕二写的《提高记忆力的秘密》等科普书。很多书,早已不记得是多少年前读的了,可至今仍会偶尔想起就从书橱里翻找出来重新看看,每读一次总有新悟,宛若儿时伙伴,陈而不旧,久间而不疏。

  《遥远的剑桥》(拙译),作者藤原正彦。年轻时以诙谐的笔触洋洋洒洒地写下《一个年轻数学家的美国奋斗记》(拙译),荣膺日本散文俱乐部奖,从而展露文才,步入文坛。《遥远的剑桥》叙述了藤原带着妻子和孩子们远赴英国剑桥当客座教授时的工作与生活,从中可以窥见一个亚裔科学家想要立足于科学王国、与当地教授平起平坐并获得他们认可与尊重的来之不易。藤原先生原任日本茶水女子大学理学系教授,专攻数学,而他的文字却与慎密的数学风格截然不同,诙谐幽默,精炼而有力。他所著《国家的品格》一书曾于2005年创下200多万部销量记录,而“品格”一词也荣登2006年日本新语和流行语大奖榜首。藤原正彦父母均为日本著名作家,他的妻子、翻译家藤原美子女士也写得一手好文,《丈夫的恶梦》(拙译)、《家族流仪》(拙译)等书折射出妻子眼中不同的藤原教授,读后令人莞尔。

  「記憶の中には、いまもあの霧が流れている」(记忆深处,那层层浓雾至今仍会向我飘来,拙译)。标在『須賀敦子全集』腰封上的这段文字美得令人叹息,是它引我步入了须贺的世界。已故意大利文学翻译家须贺敦子出生于1929年一个富商家庭,年轻时曾学习法语留学法国,却意外地心醉于意大利语,29岁转赴罗马留学,与丈夫邂逅之后一度定居米兰。后因丈夫去世,40多岁时返回故里,担任日本上智大学专任讲师。须贺敦子是典型的大器晚成型作家,她翻译的意大利文学作品在她50岁之后才受到世人关注,而从事随笔创作已将近60岁。1991年,61岁的她以《米兰 雾的风景》一书荣获日本女流文学奖、讲谈社散文奖。该书以静静的笔触娓娓道出年轻的敦子在米兰生活时的交友、工作、家庭和生活场景,没有过多的渲染,人物朴实真切。不知何故,她笔下的那些淡淡的人情世故总会勾起我留学时代京都生活的种种,每次读后都会忍不住潸然泪落。无论是《想去浓雾彼岸住》(拙译)还是《一顿盐的阅读》(拙译),都集结了临近人生秋季的须贺女士内心的往事,步入书中,你能感到那些细碎的故事凝成一道道雾气,随书香飘来。

  在各类书里,我最不常看的就属小说了。总觉得“性价比”不高,一拿起书来就非得看到底才罢休,太花时间。但是,有一位日本作家的作品却让我爱不释手,她就是三浦绫子。三浦的代表作《冰点》是她家庭主妇时代向朝日新闻社投寄的一篇征文小说,当时还是默默无闻的她竟然力压群雄,勇夺大奖,从此走上写作之路。《冰点》以三浦绫子的故乡北海道旭川市郊为舞台,围绕“爱与原谅“的主题阐述人性的软弱,通过小说中不同人物在亲情友情爱情中的不断挣扎来追溯人存在的根源。《冰点》故事情节一波三折,曾被无数次改编成影视剧,创日本小说改编之最。文字通俗易懂、情节引人入胜是三浦绫子作品最大的魅力。追踪她的文字,你的眼前很自然地就会闪出一道道风景来,一不小心就陷入宁可饥肠辘辘也不肯放书的境地,非常适合非母语外国人阅读。三浦绫子是一位虔诚的基督教徒,体弱多病,年轻时因患肺结核和脊椎骨疽在病床上生活了13年,而晚年又患上帕金森氏病,手脚麻木、行走不便。尽管如此她仍“笔”耕不辍,通过口述(由她丈夫三浦光世笔记)坚持创作。其自传小说《脚下有路》三部曲:《脚下有路》、《这个泥器皿》、《趁有光时》(书名均为拙译)铺陈了自己信仰基督教的心路旅程,称得上是一部浅显的基督教入门书,读后受益良多。

  还有很多书,期冀有机会做整理后再与各位分享。细细想来,自第一次认识”五十音图”,至今已三十年有余。令人惭愧的是,与匆匆岁月相比,自己的语言运作能力显然未能跟得上时光的脚步。好在语言是一门细活,容得下你慢慢琢磨。路漫漫其修远兮,吾仍将上下而求书。

私の和書遍歴

下山リティン

 読書は自ら行う行為だが、読まされるという場合もある。私の場合、日本語の本は読まされることで始まり、徐々に、自ら読むようになり、そして読むことが習慣となった。日常生活が本で満ちていないと、味付けに塩少々を忘れたかのように味気ない。

 私が日本語で書かれた本を読み始めたのは留学生の時だった。読書のきっかけは、授業を受けた日本文学ゼミの担任教授が授けてくださった。当時参加したゼミは、私のような海外留学生がほとんどを占める小さなクラスであったと思う。ゼミが始まる前、学生たちは皆、講義の開始を待ちきれない感じで、先生が少し早く登壇されないかなと期待した。先生が来ると新しい物語が聴けるのだから。ゼミでは毎回、日本文学の名作一作品が取り上げられた。先生は、まず作者と作品の時代背景を解説したのち、小説のテーマを論じ、最後に物語の筋書を詳細に吟味された。90分のゼミは、コーヒ一一杯を飲むに要すわずかな時間のようにあっという間に終わり、学生たちが全精神を集中し聞きほれているとき、いつも、残酷にも「続きは次回のお楽しみ」の合図のベルが鳴った。実際、先生は間違いなく「語り」の名人であり、あの時代に先生を上海の茶館(琵琶を弾きながら物語を語る舞台が設けられているお茶を嗜む店)にお連れし、講演をお願いしたら、会場を沸かせ毎回満員御礼だったに違いないと今でも思う。もし現在、先生が中国でライブコマースのコミュニケーターなら、ネットファンは数えきれない数に昇り、ネットの人気者になるだろう。そして私も徹頭徹尾、先生の熱烈なファンとなった。「ずるい」のは、一回のゼミ中に全編を講ずることは一度も無かったことだ。というのも、毎回、ゼミでは、新しい作品を講義しなければならなかったからである。そこで私はストーリーを追うために授業終了後すぐ生協へ飛んで行き、まず裏面の値段をチェックしたあと、思い切ってその本を買って帰り、一気に最後まで読み切った。私が留学生活を始めたころ、お金に余裕がなかった時代に、日本で買った最初の文庫本は、著名作家、遠藤周作の中間小説の代表作『わたしが・棄てた・女』だったように思う。

 卒業後は、私を読書に誘う人は現れなかったので、自ら読む本を探し求めた。最初、読む動機は実に単純、自身の日本語理解の水準を高めたいということだった。頻繁に書店に出向いて店内を一回りし、気を引くタイトルを見つけたらパラパラとページを繰り、興味を引かれたら買って帰る。そして寝台のわき机の上に積んで置き、閑な時にページを繰った。しかし、このようにして買った本には、読破したあとに値打ちなしと感じるものが数多くあった。多くの失敗を重ねた後、徐々に本の選び方をマスターし、自分なりの良書の判断基準が出来て、どのような本が繰り返し読む価値があり、どの様な本はさっと読むだけで充分だということが分るようになった。今は好きな作家の本を買う。好きということは、十中八九自分の本業に関わり文章表現がポイントだということだ。

 よく読む本は主に次の三種類に分かれる。第一にエッセイ、気の向いたときに読む。居ながら気ままに本の世界を逍遥できる。第二は語学に関する本。翻訳、通訳、語学教育など。かなり仕事に関わる。第三は、経済学、人文科学に関するもの。例えば、私が最も愛読する脳神経科学者池谷裕二の『記憶力を強くする』などの科学啓蒙書。多くの本は、今となってはいつ頃読んだのか思い出せない。しかし今ふと本棚から探し出し読み返してみると、読むたびにいつも新たな発見がある。まるで若い頃の友人と久しぶりになつかしく再会した気分だ。

 『遥かなるケンブリッジ』、作家は藤原正彦。若い頃、ユーモアタッチで流暢に書き上げた作品『若き数学者のアメリカ』は、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。以後、文才を発揮し文壇に名を連ねた。『遥かなるケンブリッジ』は、藤原が妻子を帯同してケンブリッジ大学客員教授として赴任したときの仕事と生活について書いたもので、アジア系の科学者が英国という科学大国で足場を築き、現地の教授たちと対等に付き合い、彼らに認められ尊敬を得ることの難しさが窺える。藤原のもともとの本業はお茶の水女子大学理学部教授、専門は数学だが彼の随筆は緻密な数学論文の風采とは全く異なり、ユーモアに富み洗練され力強い筆致だ。彼の著書『国家の品格』は2005年、200万部以上を売り上げるベストセラーとなり、「品格」という言葉は2006年新語・流行語大賞を獲得した。藤原正彦の両親は共に著名な作家であり、彼の妻で翻訳家である藤原美子も『夫の悪夢』『家族の流儀』などの好著を出しており、妻の目から見た藤原を書いており、読後、笑みがこぼれる。

 「記憶の中には、いまもあの霧が流れている」。須賀敦子全集の帯に記されたこの言葉は息を呑むほど美しい。この言葉に惹かれて、私は須賀の書く世界に引き入れられた。すでに故人であるイタリア文学翻訳家の須賀敦子は、1929年、裕福な実業家の家庭に生まれた。若い頃、フランス語を学ぶためフランスに留学したが、のちに意外にもイタリア語に魅せられ、29歳の時ローマに移り勉強した。連れ合いとなる人に出会ったあとは、ずっとミラノに住んだ。のちに、夫が亡くなったこともあり40歳過ぎに日本に戻り上智大学の専任講師となった。須賀敦子は典型的な遅咲きの作家で、彼女が翻訳したイタリア文学作品は、50歳を過ぎてやっと世間の注目をあびた。そして随筆を書くようになったのはもう60歳に近かった。1991年、61歳の彼女は「ミラノ 霧の風景」で日本女流文学賞、講談社エッセイ賞を獲得した。この本では、若い頃のミラノ生活での友人・仕事・家庭と生活風景を静かな筆致で飽きさせずに描く。過剰な膨らましはなく、登場する人々は簡素、明瞭に描かれる。どういう訳か、彼女が描く淡々とした人の情けと世渡りの機微は、私の留学時代の京都生活でのあれこれを思い出させ、読むたびにはたと涙がこぼれる。「霧の向こうに住みたい」や「塩 一トンの読書」なども皆、人生の秋を間近にした須賀の心中を凝縮し、読み入ると、話の細やかな断片が霧のように漂い、本から文学の香りが立ちこめるのを感じることができるだろう。

 いろんな分野の本の中で、常には余り読まなくなったのは小説のたぐいだ。読みはじめると最後まで読み終えないと気が済まない質なので時間がかかり、いつも「コストパフォーマンス」が悪いと感じる。しかし、例外的に、手放すことができない日本人作家の作品がある。それは三浦綾子である。三浦の代表作品「氷点」は、主婦でありながら朝日新聞社の懸賞小説に応募したもので、当時無名の彼女が、並み居る物書きの俊英たちを押しのけ大賞を勝ち取り、その後、作家の道を歩んだ。「氷点」は三浦綾子の故郷である北海道旭川市郊外の地を舞台としている。「愛と許し」をテーマに据え、人間の弱さを描き、小説の中のさまざまな人物が肉親の情・友情・男女の愛に不断にもがく姿を通じて人間存在の根源にたどり着こうとする。「氷点」の筋書きは錯綜しており、今までに何回となく映画、テレビでドラマ化され、日本小説の中で最も多く映像作品になった。文章は平易で分かり易く、ストーリーが読者を引き込み掴んで離さないのが三浦綾子の作品の最大の魅力である。彼女の文章を追っていると自然に目の前に光景が浮かび、思わず食事を抜いてでも読み続けたい気分になる。日本語が母語でない外国人が読むのに非常に適している。三浦綾子は敬虔なキリスト教徒である。生まれつき身体が弱く、たくさんの病気を経験した。若い頃は肺結核と脊髄カリエスのため13年間寝たきりの生活であった。また晩年にはパーキンソン病で手足が麻痺し、動作が困難であった。このような状態であっても世に作品を送り続けた。夫である三浦光世に口述筆記をしてもらい作品を創り続けた。自伝小説「道ありき」三部作である「道ありき わが青春の記」「この土の器をも わが結婚の記」「光あるうちに 信仰入門編」、はキリスト教信仰への自身の心の遍歴を詳しく吐露したもので、わかりやすいキリスト教入門書であり、読後、多くのことを考えさせる余韻が残る。

 まだまだ多くの書籍を読んできたが、整理したあとにもう一度みなさんと分かち合う機会があればうれしい。つまびらかに思い起こすと、初めて「50音図」を見知ってから既に今30年余りが経った。慌ただしく過ぎ去った日々に比べ、自分の語学力の進歩が時間の経過に相応していないことに身が縮む。幸い、語学はこつこつ積み上げ一歩一歩向上できる学問だ。道は果てしなく、習得には長い時日を要す。私はこれからも様々な書物を探し求めることだろう。

(訳 会員A)

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