道教と忍者―忍者はなぜ「九字」を切る?―

中島慧

忍者のイメージは修験者のイメージと重なって形成されてきました。忍者といえば九字。日本では九字の呪法は修験道を代表するものですが、修験道から発展して忍者ともかかわりの深い呪文となりました。この「型」を作ったのが修験道で用いられる「九字の法」です。

『修験道辞典』では九字は、中国道教に由来する魔除けの呪文が日本に伝わって護身呪に変化したものと定義されています。そして修験道で用いられる九字の呪法は『抱朴子』に由来するという前提があります。『抱朴子』(内篇)「登渉篇」の「入山宜知六甲秘祝。祝曰,臨兵鬭者,皆陣列前行。凡九字,常當密祝之,無所不辟。要道不煩,此之謂也。」という部分です。これは「六甲秘祝」という遁甲術の呪文とされ、入山の際に用いるべき呪法とされるものです。遁甲術とは、外敵から身を隠す、避ける、といった身を守るための術のことです。しかし修験道の九字は、主に「臨・兵・闘・者・皆・陣(陳)・烈(列・裂)・在・前」の九文字の漢字を使用する点や、それぞれの文字に対応する印・本尊がある、とされる点が『抱朴子』のそれとは異なっています。

そして、修験道の九字は感応した本尊の力によって敵を打ち据えるという、調伏を目的として行われる呪法であり、多分に積極的な攻撃性を見せています。このような点は、『抱朴子』の逃げる・隠れる・避けることを目的に行わる九字からかなり展開しています。

このような差は、超常的存在との関り方に関する前提の違いから来ているのではないでしょうか。『抱朴子』を始めとする中国道教世界観では、鬼神等の神霊は名簿によって使役できる、という考えがありますが、『抱朴子』等では、九字は使役する鬼神等による護身を目的に行われるのに対し、修験道では、九字の呪法によって感応した本尊との一体化を目指します。

宮家準によれば、修験道において九字を切るということは、九字の呪文を唱え、それぞれの印を結び、本尊(=神仏)を観念し、その神仏を通して山の霊力との一体化を図り、その力によって自身を害する怨敵を調伏することを目的とします。また、宮家は九字の呪法を行う際のアクションに注目しています。目に見える具体的で分かりやすいアクションの行使には、敵に対する積極的な攻撃の意思が窺えます。フィクションにおける忍者も九字のアクションを切っ掛けとして超常的現象を起こします。

修験道で呪文に求められるのは調伏の効果です。日本ではこの調伏の効果に、密教の想定していた個人の煩悩や悪霊等の見えないものに加え、目に見える敵に対する効果も期待されました。そしてそれが兵法書を通して忍者像が創造される過程で、忍術にも採用されたのです。

主な参考文献

宮家準編『修験道辞典』東京堂出版、1986年。

王明『抱朴子内篇校釋』中華書局出版、1980年。

宮家準「修験道における調伏の論理」『慶応義塾大学大学院社会学研究紀要』6、1966年、27~37p。

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