道教と忍者―忍術書と呪術の微妙な関係②―
中島慧
前回『万川集海』では呪術的な記載が避けられている、と書きましたが思想的な記述はあります。例えば「正心」です。『万川集海』の中でも、草紙類等に登場する忍者のイメージと同様に、忍者は、忍び込んで何かを盗んでくる者=盗賊というイメージはありました。そのために筆者は、本物の忍者は盗賊とは異なる、と主張するために、忍者には「正心」が必須であると繰り返し説きます。
『万川集海』では繰り返し「正心」について記述しています。巻第二では「それ忍の本は正心なり。忍びの末は陰(いん)謀(ぼう)佯(よう)計(けい)なり。是故に、其の心正しく治まらざる時は臨機応変の計を運(めぐ)らす事ならざるものなり。」と、忍者における「正心」の重要性が強調され、巻第三では「二字の事」として「正心」を持つべき忍者は士の一種である、としています。筆者にとって忍者は、盗賊の術と同様の技術を持っていてもあくまでも武士身分の者です。遠山敦は「正心」という言葉は朱子学修養論の『大学』の八条目の一つである、とし、「正心」とは仁義忠信を守ることであり、仁義忠信の規定や、これをどのように守るのか、という点では朱子学的な修養論がそのまま踏襲されている、として『万川集海』内において朱子学的思考が存在することを指摘しています。
『万川集海』は「正心」という単語によって、高い精神性を持った道徳的な忍者という忍者像の精製を行っています。また、忍者像の誘導は忍者・忍術の始まりについての記述でも行われており、『日本書紀』の記述から天武天皇によって用いられた「多胡弥」という人物から始まる、と主張します。
このような記述から『万川海集』では、それまでに流布され認知されてきたイメージから「正統な忍術書」に採用するに相応しいと判断されたものが抽出、集約されて記述されていると判断できます。これは筆者の立場=忍者という立ち位置からのものです。
「正心」以外にも『万川集海』に採用されている忍者・忍術イメージの中には思想的な単語が登場しています。例えば、「空」・「陰陽」・「五行」・「天命」等です。これらも好ましい忍者イメージの形成上必要な要素だったのでしょう。
更に『万川集海』が書かれた時期に常識とされていた儒教的道徳や仏教的観念を土台に筆者が忍者の理想的思想を形成した、と考えると、忍者を武士や侍の一種と規定する筆者が、儒教的道徳や仏教的観念を背景とした忍者像を形成することで忍者イメージの底上げを図った、とも想定できます。忍術書も一種の創作物ですが、作者の立場によって創造される忍者像は異なります。ここでは草双紙等に登場するような忍者は好ましくない忍者像なのでした。
主な参考文献
中島篤巳訳註『完本万川集海』、国書刊行会、2015年。
遠山敦「江戸時代の忍者と武士―『万川集海』巻第二・三に見る忍者の自己規定」『忍者の誕生』勉誠出版、2017年、39~53p。