高齢者施設を訪ねて

高崎由理

友人Kから最初に連絡があったのは、もう一年以上前だ。

 

彼女が勤める高齢者介護施設に、中国語ネイティブの男性が入所したが、ほぼ日本語が通じないため、コミュニケーションに苦労しているというのである。

 

Kは、学生時代に老人ホーム合宿をともにした仲間である。仲間内でただ一人、今も高齢者施設で働いている、尊敬すべき友である。私は、彼女の勤める施設にとんで行って手伝いたかったが、コロナ禍ゆえ直接の訪問は許されなかった。

 

それで、昨年中は男性との意思疎通のための指差しカードを作って送ったり、Kと二人の即席中国語講座を行ったりという形で関わることしかできなかった。

 

指差しカードは、もともと職員のみなさんがネット翻訳を駆使して作られた(ご努力頭が下がります)ものを、より通じやすい中国語にしてイラストを付けたものである。

 

これを作って感じたことは、なんとも思わずに使っている日本語が、中国語に直訳すると全くシチュエーションに合わなくなるということだ。

たとえば、施設で利用者を食堂に誘うとき、

「ご飯ですよ」

というであろう。

しかし、試しに「ご飯ですよ」を手近なネット翻訳で変換してみると、“这是米饭。”となり、「これは米の飯だ」という意味の中国語になってしまう。もう一歩踏み込んで中国語学習記事を見てみると、“吃饭了!” “开饭了!”などが日本語の「ご飯ですよ」の雰囲気をもっていることがわかる。

 

話がそれるが、いまここを書くため1年ぶりにネット翻訳を使ったら、「生成AIを使いますか」のようなアラートが出た。

 

そこで使ってみると、

「中国語で『ご飯ですよ』は『该吃饭了哦』です。」

に始まる、長い説明が出てきた。これは、「ご飯の時間ですよ」のような意味で、上記の場合にも相応しいから、すばらしい訳である。

 

話を元に戻そう。

去年の夏には、Kを相手に即席の中国語講座も行った。ちょっとでも口頭でお話がしたいというKの願いからであった。

「着替えたときに、『かっこいいです!』って言いたい」ということである。

この一日講座の資料を添付するので、ご自由にご使用いただければ幸いである。

 

さて、今年後半になってコロナ対策も様相が変わり、いよいよ私も、その男性に会って話ができる運びとなった。8月のことである。ただ、私は中国語がちょっと喋れて、大昔に高齢者施設でのボランティア経験があるというだけの人間だから、お役に立てるものか、心配 で夜も眠れない。

 

こうしたボランティアは、中国語が堪能でありさえすればいいというものではない。 高齢者と心を通わせ、適宜の話題を選んで楽しくおしゃべりするスキルや人間性が必要である。日常会話だけでなく、歌や物語に関しても、知識の引き出しがたくさん必要だ。

 

施設側と私が助けを求めた而立会会員の間で、ボランティアに関する方針のすり合わせが始まろうという頃、私はとうとう実際に施設を訪ね、男性とお話することができた。

 

握手すると、大きな肉厚の手であった。この手でもって、長く働いてこられたに違いない。施設職員は個人情報を明かさないが、戦後中国に残留し、大人になってから帰国された方であろうことは容易に想像できた。

 

その日の会話では、こう感じた。

私たちは、彼が中国出身だということで、つい、「中国料理が懐かしいだろう、食べさせてあげたい」とか、「中国の故郷を思っておられるのではないか。故郷のお話を伺ったら、喜ばれるのではないか」いうように、中国にこだわってしまう。

 

しかし、彼は日本人である。

 

「あなたの故郷はどこですか」と尋ねたとき、彼は “这里。正是这个地方啊”と、答えられた。胸が熱くなった。ここを故郷と思い、この施設を家と思ってくれている。

 

職員のスマホアルバムを一緒に見たが、笑顔の彼と一緒に写っている、 若い女性たちのことも、

「これは誰? ここの職員さんですか」

と尋ねると、ちょっと考えて、

「職員さんではない、うちの孫娘だ」

と言われた。そう感じるほど、家庭的な介護が行われているのであろう。

 

聞けば、アジア各国から日本の介護施設に働きにきている若い人が何人もいて、中には簡単な中国語で毎日話しかけてくれる人もいるという。そういう職員さんがいてくれてありがたい。

 

現在は、中国から来た職員はどこの施設にもほとんどいない状態らしいが、おそらく、日本じゅう多くの施設に中国出身の高齢者が暮らしているものと考えられ、そのうちの一定数は、せっかく身につけた日本語を忘れてしまったり、使うのが面倒になってしまったりしているであろう。

中国語ボランティアが必要とされるゆえんである。

 

私たちはいつまでも、彼の良き隣人でありたいと思う。9月、而立会の仲間の尽力で、 優れたボランティアが毎月訪れてくれることになった。私もまた、彼に会いに行きたい。

 

※一日講座の資料は下記「介護に使える中国語これっきり」をクリックしてください。

介護に使える中国語これっきり

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です