憶旧三篇~母の愛した本
中日対照エッセイ
山口県に住んでいらっしゃる呉菲さんのエッセイを会員が訳しました。2篇目も、ぜひお楽しみください。
忆旧三篇 我妈和她爱读的书
吴 菲
外公是读书人,早年曾当过旧式小学的校长。我妈还没上学,外公就教她背诵四书。她说那时记性特别好,即使不理解内容,也能把文章倒背如流。然而这段学前教育似乎从未派上用场。
高中毕业前一年,我妈放弃了学业去参军。那年她才十六岁。说起这次人生抉择,我妈总是很后悔,因为她那些没参军的女同学后来都上了大学。
退伍后,我妈在政府机关工作。偶然读到一本关于集体农庄生活的苏联小说,书中对现代化集体农庄的描述令她向往不已。于是她决定一边工作,一边复习备考,梦想着考进大学,专攻农机专业,将来去集体农庄建设社会主义。
时逢一九五七年反右斗争,因为单位的右派名额凑不足预定人数,不到二十四岁的她被“选中”当了替补,罪名是“为考大学不安心工作”。
改变我妈命运的那本苏联小说,我隐约记得书名是《多雪的冬天》。书一直在我家的书架上,但从来没见有谁去读它,仿佛只是作为一件历史见证物摆在那里。
我妈去世多年,知悉她青春时代的人也纷纷故去了。为了查证记忆是否正确,我上网搜索《多雪的冬天》的相关资料,发现这部小说是一九七一年才发表的。那么我妈当年读的那本究竟是什么书呢?我又用“集体农庄”做关键词,找到一本《磨刀石农庄》,是描写十月革命后苏联农业社会主义改造的作品。人民文学出版社一九五五年四月的版本应该是最早的中文版。从内容提要和出版时间来看,这部已被遗忘的小说大体符合我妈的描述。
我妈后来喜欢的作家是大仲马。文革结束后,五卷本的《基督山恩仇记》风靡一时。单位图书室仅有一套,要排队很久才能借到。我妈为了尽早一读为快,甚至不介意从第五卷开始,倒序读完了全套。记得过了很久,她依然津津有味地说起小说主人公复仇的故事。那时我还在上小学,也记住了基督山伯爵的真名叫邓蒂斯。
后来,翻译小说不再精贵,我家的书架上有了大仲马的《三个火枪手》,还有一本比较冷门的《红屋骑士》。那本书放在书架的最上层,我妈说,要等到退了休再慢慢读。然而直到去世,她好像也没读过那本《红屋骑士》。现在想来,大仲马一定是输给了电视。退休后,我妈尤其喜欢看侦探片,《神探亨特》是她的最爱。
又过了很多年,市面上开始流行日本推理小说。每当看见书店里满书架的东野圭吾和伊坂幸太郎作品,我总是忍不住地想,要是我妈还在,肯定喜欢这两位的小说,还有相关的电影和电视剧。那会给她带来多少乐趣啊。
母の愛した本
母方の祖父は学のある人で、もとは旧制小学校の校長先生だった。母が学校に上がる前から、祖父は母に四書を暗誦させていた。あのころは物覚えがすごくよかったから、文章はすらすら暗誦できたのよ、何を言っているかは分からなかったけどね、と母は話していた。しかしこの英才教育は使い道がなかったようだ。
高校を卒業する前の年、母は学業をすっぱりやめ、十六歳にして軍隊に入る。このときの人生の選択について話し出すと、母はいつも後悔しきりだった。入隊しなかった同級生の女の子たちは、後で全員大学に上がったからだ。
除隊後、政府機関で働いていた母は、たまたま一冊の本に出会う。コルホーズ〔集団農場〕での生活を描いたソ連の小説で、近代的なコルホーズの描写はこのうえなく魅力的だった。そこで母は、働きながら受験勉強をすることにした。大学で農業機械を専攻し、将来はコルホーズに行って社会主義建設に携わりたいと思ったのだ。
だが折しも一九五七年、反右派闘争の年だった。職場の右派名簿がノルマの人数に足りなかったせいで、二十四歳前の母は、「大学受験のため、仕事に身が入っていない」という罪状で穴埋めに選ばれてしまった。
母の運命を変えた、くだんのソ連の小説は、確か『雪の多い冬』(注1)というタイトルだったような気がする。本はずっと我が家の本棚にあったが、誰かが読んでいるのは見たためしがない。ただ歴史の生き証人としてそこにあるだけのようだった。
母は何年も前に亡くなり、母の若い頃を知っている人も次々亡くなってしまった。記憶を確かめるため、私はネットで『雪の多い冬』に関する情報を探してみた。それで分かったのだが、その小説は一九七一年に発表されたものだった。すると、母が当時読んだ本はいったい何だったのか。「コルホーズ」をキーワードにして検索してみると、『ブルスキー』(注2)という、十月革命後のソ連の農業社会主義改革を描いた作品が見つかった。人民文学出版社から一九五五年四月に出たのが一番古い中国語版らしい。内容紹介と出版時期から見て、この忘れられた小説は母の言っていたこととほぼ一致する。
その後、母が気に入ったのはアレクサンドル・デュマだった。文革が終わってから、五巻本の『モンテ・クリスト伯』が一世を風靡した。職場の図書室には一セットしかなく、かなり長いこと順番待ちしなければ借りられなかった。母はすぐ読めるなら何でもいいと第五巻から読み始め、後ろから全巻読破した。長い年月がたってからも、母は小説の主人公の復讐物語を熱っぽく語っていたものだ。当時私はまだ小学生だったが、モンテ・クリスト伯の本名がダンテスだったことは覚えている。
それから翻訳小説は珍しくなくなり、我が家の本棚にはデュマの『三銃士』、それにあまり人気のなかった『シュヴァリエ・ド・メゾン・ルージュ』も並んだ。その本は本棚の最上段にあって、母は定年退職したらゆっくり読むのだと言っていた。しかし亡くなるまで、母が『シュヴァリエ・ド・メゾン・ルージュ』を読んだ様子はない。今にして思えば、デュマはテレビに負けたのだろう。退職後、母は刑事ドラマを見るのがことのほか好きで、『刑事ハンター』(注3)が一番のお気に入りだった。
また何年もたって、巷では日本の推理小説が流行り始めた。書店の棚いっぱいに並ぶ東野圭吾や伊坂幸太郎の作品を目にするたび、母が生きていたらきっとこの二人の小説や、その映像化作品が気に入っただろうと思わずにはいられない。母はどれほど楽しんだことだろう。
【注】
1 ベラルーシの作家イヴァン・ペトロビッチ・シャミアキン(一九二一~二〇〇四)による小説。
2 ソ連の作家フョードル・イヴァナビッチ・パンフョーロフ(一八九六~一九六〇)による小説。「ブルスキー」は砥石のことで、中国語版のタイトルは「砥石コルホーズ」の意味。
3 一九八四年から一九九一年までアメリカで放送された刑事ドラマ。
(翻訳 古屋順子)
作者の呉菲さん略歴
呉菲(WU/Fei) 中国雲南省生まれ。大連外国語大学日本語学部卒業。1996年来日、山口大学大学院人文科学研究科修了。翻訳者。山口県在住。
主な翻訳作品は金子みすゞ童謡集『明るいほうへ/向着明亮那方』(2007年)、『星とたんぽぽ/星星和蒲公英』(2012年)、『みんなを好きに/全部都喜欢』(2017年)ほかには、宮沢賢治詩集『春と修羅/春天与阿修罗』(2015年)、中原中也詩集『山羊の歌/山羊之歌』(2018年)、まど・みちお詩集『やぎさんゆうびん/山羊的信』(2020年)などがある。
2017年、金子みすゞ童謡詩集『明るい方へ/向着明亮那方』(2007年)に収録されていた「雲/云」と「次から次へ/一个接一个」が中国の小学校一年生の国語教科書に正式に採用された。