憶旧三篇~赤犬のアリー

中日対照エッセイ

今回は山口県に住んでいらっしゃる呉菲さんのエッセイを会員が訳しました。ぜひお楽しみください。


忆旧三篇 黄狗阿丽

吴 菲

  父亲一九三四年生于威海,长在烟台。爷爷是海关职员,自己还做了点小生意,据说当时家里生活很富裕。看旧时照片,年幼的父亲站在豪华的沙发前,身穿笔挺的西式童装,脚上是锃亮的小皮鞋,颇有点小少爷的架势。

  父亲十三岁那年,爷爷得了急病突然去世。家中的顶梁柱没了,两房太太只能分别带着自己亲生的孩子各奔东西。奶奶这年才三十一岁,她和自己的生母加上十五岁到五岁的四女一男,携了金银细软,从烟台去青岛投奔教友。

  父亲当时有一只名叫阿丽的黄狗,无法带走,只好留给看房子的下人。一家人登上前往青岛的船,船刚离岸,就发现阿丽也跟来了。眼看着阿丽扑通跳进水里,跟着船游了很远,但还是无法将它带走。

  两个姑姑曾绘声绘色地说起这件事。其中一个说:

  “你爸爸扒着船边哭得那叫一个惨!直喊:‘阿丽!阿丽!’拉都拉不住。可当时哪管得了狗啊!”

  我问父亲,跳进海里的阿丽最后怎么样了?父亲淡然地说:“那也只能游回去呀。”

  后来,他们孤儿寡母一行七人又从青岛辗转去了上海,在那里迎来了一九四九年。

  说来自打爷爷去世后,父亲的人生一路坎坷,再也没有过上老照片中那般富足的生活,也没有再养过狗。他养过许多金鱼和几只画眉鸟,它们都没有名字。

赤犬のアリー

 父は一九三四年威(いかい)に生まれ、煙台(えんたい)に育った。祖父は税関の職員で、自分でもちょっとした商売をやっていて、当時はなかなかの暮らしをしていたようだ。昔の写真を見ると、幼い父は豪華なソファーの前でぱりっとした子供用のスーツを着こなし、足元もピカピカの革靴で小さなお坊ちゃんらしくきめている。

 父が十三歳の年、祖父は病気で急逝した。一族は屋台骨を失い、祖父の二人の妻たちは、それぞれ自分の子を連れ、どこかに落ち着き先を探すほかはない。そのとき祖母はまだ三十一歳だった。自分の母親と十五歳から五歳までの四女一男を連れ、金子(きんす)とそれに換えられそうなものをまとめると、煙台を離れて青島(チンタオ)の教会仲間のところに身を寄せることにした。

 父は当時、アリーという赤犬を飼っていたが、連れていけるはずもなく、留守番の使用人の所に置いていかざるを得なかった。いよいよ一家が青島行きの船に乗り、船が岸壁を離れたまさにそのときのこと。何とアリーが岸にいるではないか。アリーは目の前でどぼんと海に飛び込むと、船の後を泳いでずっとついてくる。とはいえ、やはりどうすることもできなかった。

 二人の伯母たちは、かつてこのときの様子をまるで昨日のことのように話して聞かせてくれた。伯母の一人が言うには、

 「あなたのお父さんはデッキのへりにしがみついて、泣きながらずっと叫んでいたわ。『アリー! アリー!』って。どうしてもそこを離れなくってね。でも、犬にまで構ってはいられなかったのよ」

 海に飛び込んだアリーがその後どうなったのか、父に聞いてみると、淡々と言った。「そりゃあ、泳いで戻るしかなかったよ」

 その後、父親を失った子供たちとその母ら七人は、青島からさらに上海へと移り住み、そこで一九四九年を迎えた。

 祖父が亡くなってからというもの、父の人生は不遇続きで、もう二度とあの古い写真のような満ち足りた生活を送ることはなく、犬を飼うこともなかった。たくさんの金魚と何羽かのガビチョウを飼っていたものの、結局名前は付けずじまいだった。

(翻訳 髙原尚子)


作者の呉菲さん略歴

呉菲(WU/Fei) 中国雲南省生まれ。大連外国語大学日本語学部卒業。1996年来日、山口大学大学院人文科学研究科修了。翻訳者。山口県在住。
主な翻訳作品は金子みすゞ童謡集『明るいほうへ/向着明亮那方』(2007年)、『星とたんぽぽ/星星和蒲公英』(2012年)、『みんなを好きに/全部都喜欢』(2017年)ほかには、宮沢賢治詩集『春と修羅/春天与阿修罗』(2015年)、中原中也詩集『山羊の歌/山羊之歌』(2018年)、まど・みちお詩集『やぎさんゆうびん/山羊的信』(2020年)などがある。
2017年、金子みすゞ童謡詩集『明るい方へ/向着明亮那方』(2007年)に収録されていた「雲/云」と「次から次へ/一个接一个」が中国の小学校一年生の国語教科書に正式に採用された。

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