読書コーナー

市川リベカ

 本日は、最近東京のハンセン病資料館で手に入れた訳本をご紹介したいと思います。

 

林志明(りん・ちみん)著 鄧晶音(とう・あきね)訳

天使在人間tenshi zai jinkan 中国ハンセン病回復者の綴る17の短編小説』 河出書房 2015

(中国での原版は広東新世紀出版社有限公司出版2010)

 

帯には、日本のハンセン病回復者として社会運動家となり、著名な語り部でもある平澤保治の、

林さんの人生は

私の人生。

本書は時代、

国境を越えた

ハンセン病の語り部である。

という言葉が記されている。

 

著者林志明は雅号を風雨之舟といい、1929年広東省生まれ。1927年生まれの平澤と同年代である。中国と日本とでは、ハンセン病者・回復者のおかれた環境に違いがあるが、二人はともに、社会で働くことにより自己の尊厳を守ろうと奮闘した点に共通点がある。

 

訳者解説によれば、林は様々な仕事を遍歴し、ときに病院に入りつつ、文革後は「売字」(人のために字を書いて売ること)により生活し、仕事のないときは小説を執筆したという。小説を書く目的は、

「ハンセン病患者と回復者の味わった、ありとあらゆる苦難を世の中に伝え、世界に彼らの身の潔白と心身に非常に大きな苦痛を受けていることを知ってもらいたい」

(著者執筆の「まえがき」より)

という思いであった。

 

本書には、副題のとおり17編の短編小説が収められている。いま、なかでも最も短い作品「納骨堂」をとりあげよう。広東省に暮らす老人たちの生活の一コマである。

 

「納骨堂」というのは、松泉ハンセン病病院内にある壁のない建物で、老人たちはそこで行商人から買い物をした後、自由気ままに話し合う。建物の形が広東省の田舎によくある納骨堂に似ていることから、誰からともなくここを「納骨堂」と呼び始めた。中には骨壺ではなく、「社会的に死んだものとみなされている」ハンセン病回復者の老人たちが並んでいる。

 

「納骨堂」という呼び名は寂しい冗談だが、老人たちは感傷に浸ることなく、面白がって大笑いしている。なぜなら、2000年に中国のハンセン病が撲滅されたからである。

「我々のような老いぼれが灰になったら、もう我々のように苦しい思いをする者はない」と考え、「無限の光と未来へのあふれんばかりの希望」に満ちている。

 

小説中の時間においては、折しも北京オリンピックが開催されて、老人たちは中国の金メダル獲得に湧く。一方、農村の土地流失や、村幹部の蓄妾に腹を立てる。ハンセン病回復者が一般の障がい者と同じ待遇を受けられるようになると、大喜びして、国の思いやりに感謝する。

 

そう、本書に収められた作品の多くが、国や政府、党への感謝で締めくくられている。お決まりのパターンで、しらけないでもない。しかし、日本においてハンセン病が治る病気になった後も漫然と絶対隔離政策が続けられたことに比べれば、中国の対応のほうがかなりましであり、案外正直な感想と捉えることも可能である。

 

日本のハンセン病回復者を扱う小説で、「納骨堂」という作品がもしもあるとしたら、それは以下のような内容に違いない。

ハンセン病療養施設にある納骨堂。ここには、強制隔離政策により生涯施設に閉じ込められ、施設の中で死に、火葬された人々の遺骨が眠っている。あるいは、堕胎により生まれることをゆるされなかった子どもたち、断種によりそもそも母の胎に宿ることのなかった子どもたちも記念されている。

 

無数の小さな骨壺が、堅牢なコンクリート造りの納骨堂にぎっしりと収納されている。骨壺には生前の名前が書いてあるが、しかし、その大半は本名ではない。故郷の家族が差別されることを恐れて、施設内の人々は死ぬまで偽名を名乗ってきたからだ。そして、その人たちがここで死んでも、故郷の家族は遺骨引き取りを拒否した。どこで亡くなったかが近隣に漏れたら、差別が襲ってくるからである。

 

そんな日本の特殊事情を踏まえ、筆者が仮想する日本の小説「納骨堂」は怒りと悲しみと諦めに彩られた作品になる。かつて「無らい県運動」を展開していた各都道府県への怒りと恐怖。天下の悪法「らい予防法」をいつまでも撤廃しなかった恥知らずの国家に対する告発。強制隔離という屈辱の歴史。生まれなかった子どもたちへの哀惜。

 

だが、林の描く広東の「納骨堂」は、共産党への忖度を割り引いても、圧倒的に明るい。その要因の一つは、中国のハンセン病者の闘いが、強制隔離政策やらい予防法との闘いではなく、むしろ社会の因習や無知蒙昧さとの闘いだったことではないか。因習と無知蒙昧の打破という点で、共産革命は一定のプラスの意味をもつといえよう。

 

さて、もう一つここで特記したいのは、訳者鄧晶音のことである。

鄧は1988年生まれの中華系在日三世で、先祖は広東省の出身だという。大学生のときにワークキャンプで広東の回復村を訪ね、初めてハンセン病について知った。

 

回復者たちは、この人生でなぜこんなにも苦しまなくてはならなかったのか。鄧は怒りを覚え、探求を始めた。つまり、鄧はもともと翻訳家でも出版関係者でもなく、ただ、ハンセン病について知らねばならないと思い、そこから進んで、林の作品を訳して日本の人々に紹介しなくてはならない、訳すのは自分しかいないという召命感を得て、この本の出版までを突っ走ったのである。

 

このような若い人が日本にいたことは、まさに天の配剤であった。鄧は大学院で学んだ成果と手法を生かし、本書に17ページに及ぶ解説を付加し、1920年代からの「中国におけるハンセン病史」をまとめている。この部分も、非常に「読ませる」部分であり、しかも感動的である。

 

最後に付け足すなら、題名の『天使在人間』とは、『人間社会に天使あり』という意味である。苦難と悪と無知に満ちた人間社会にも、見る者の見方次第では、この世に現れた天使のような人がいる。そういう、希望の言葉である。訳者鄧も、林にとってはそういう天使の一人なのかもしれない。

 

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