道教と忍者―ドロンと消える忍者の起源―

中島 慧

「印を結んで呪文を唱えるとドロンと消える」

忍者と聞いて思い浮かべるのはこのようなイメージではないでしょうか。忍者はフィクションの中でそのイメージを完成させていきました。

忍者イメージの中でも最も重要なポイントは超常的な忍術行使の場面でしょう。そんな忍術の元ネタは中国道教の仙術・道術にあったと考えられます。日本では道教は教団組織という方向では展開していませんが、道教世界観によって形成された呪術体系は日本でも修験道や陰陽道に積極的に取り込まれています。

中国道教に存在する多数の呪術は、概して中国道教の中核である不老不死に至る手段、と言えるでしょう。代表的な呪術は護身や避災です。中国道教では、これらの呪術で身体を守り、その間に不老不死の仙人修行を行う、という工程が創造されています。これに対し、日本で受容・展開した中国道教の呪術からは、興味深いことに、この不老不死という目的は脱落し、目的に至る手段であるはずの呪術がほぼ単体で陰陽道や修験道の中核をなすものとして存在しています。

日本では中国道教的な仙人は共感し難い存在であったようです。日本では中国の仙人観とは異なり、神仏と同一視されるような仙人像が形成されました。神仙譚も仏教説話に回収される傾向があります。

しかし、近世になると、怪異や呪術等の宗教的事象が娯楽として一般庶民の間で楽しまれるようになります。そこには仏教的でない仙人も登場できます。そしてそこで注目されるのは仙人そのものではなく仙術でした。呪術を駆使する仙人は、妖術師や忍術使いと同一視され、以降、フィクションに忍者が登場すると、そこに統合されていくのです。既存の説話等とは異なり仏教的解釈から自由で、視覚的インパクトの大きい呪術を用いる超人。このようなキャラクターは、近世江戸、幕末期にフィクションにおいて一ジャンルを築いた「妖術使いもの」、さらに、近代以降それを引き継いで発展する「忍者もの」の中で超常的な忍術を使用する忍者として登場します。現在に至るまで受け継がれている忍者の一般的なイメージはこの時期の文芸作品の中で創造され完成したものでした。

フィクションの忍者は、生身で超常的な呪術を駆使する存在です。日本では、中国道教的仙人の不老不死性は否定的に扱われています。しかし、超常的呪術の駆使という、もう一つの神仙的要素は残存しています。これが忍者という新たな存在の創造へとつながっていきました。仙人から不老不死性を脱落させると同時に、超常的な呪術のみを際立たせ、超常的呪術=忍術を使用する超人を創造したのです。つまり「印を結んで呪文を唱えるとドロンと消える」おなじみの忍者イメージの起源は仙人にあると言えるのです。

主な参考文献

一柳廣考監修 飯倉義之編者『怪異を魅せる(怪異の時空2)』青弓社、2016年。

窪徳忠『中国宗教における受容・変容・行容』山川出版社、1979年。

下出積與『道教と日本人』講談社、1975年。

松田智弘『日本と中国の仙人』岩田書店、2010年。

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